東京 小日向 本法寺-東京都文京区のお墓 永代供養墓 法要-

漱石と本法寺


漱石と本法寺-東京 小日向 本法寺-東京都文京区のお墓 永代供養墓 法要-
漱石句碑-東京 小日向 本法寺-東京都文京区のお墓 永代供養墓 法要-

当寺は、夏目漱石ゆかりの寺としても知られています。夏目家累代の菩提寺であるとともに、漱石の作品には、当寺がモデルであるかと思われる「養源寺」が登場します。

「おやぢの葬式の時に、小日向の養源寺の座敷にかゝってた懸物は此の顔によく似て居る。
坊主に聞いて見たら韋駄天(いだてん)と云ふ怪物ださうだ。」

『坊っちゃん』(1993年版)より

御本堂の梅-東京 小日向 本法寺-東京都文京区のお墓 永代供養墓 法要-

梅の花 不肖なれども 梅の花

 

明治29年、漱石は本法寺墓参の折に「梅の花 不肖なれども梅の花」と詠み、「展先此墓」と前書きを付けました。

これは、母の墓に詣でたとの意味です。

本法寺境内墓所の夏目家のお墓には、漱石の実父母、早世した長兄・次兄と、夏目家のお墓を継承した三兄などの近親の方々が眠っておられます。

~ 兄の死を悼んだ英文のスピーチ ~

漱石が敬愛した長兄の大介の死から二年後の明治22年 2月5日、漱石は第一高等中学校の英語会で兄の死を偲ぶスピーチを行ないました。そのスピーチの一部を『漱石全集』第26巻 (1993年版)山内久明氏訳でご紹介します。 

 

『兄の墓参りをしたのは、先月1月のことである。冬は寒々と枯れ果て、自然の魅力はことごとく失われていた。…(中略)… 墓石に跪き、お念仏を唱え、変わらざる仏の大恩と、人の身の儚(はかな)さをしみじみと肝に銘じつつ、子どものように泣き始めた。 …(中略)… 「嗚呼(ああ)、しかし樹の下に眠る兄が、永遠の眠りから蘇ることはない。兄は永遠の眠りのなかで、私について夢を見てくれるかもしれない。ここでこうして空しく、私が兄について夢見るように、愛こそは以心伝心、心は通い合うものなのだ。」そう私は思った。』

~ 蓮如の「御ふみ」の言葉 ~

明治23年8月9日、漱石は、牛込区喜久井町1番地より、松山の病床の正岡子規へ手紙を出しています。その一部を漱石全集第十四巻(岩波書店 昭和41年12月24日発行)よりご紹介します。

 

『・・・(中略)、御文様の文句ではなけれど二ッの目永く閉ぢ一つの息永く絶ゆるときは君臣もなく父子もなく道徳も権利も義務もやかましい者は滅茶ゝにて眞の空ゝ眞の寂ゝに相成べく夫を樂しみにしながらへ居候棺を蓋へば萬時休すわが白骨の鍬の先に引きかゝる時分には誰か夏目漱石の生時を知らんや穴彼賢』

小僧-東京 小日向 本法寺-東京都文京区のお墓 永代供養墓 法要-