臺座の上にあった鉄製の天水受けは、戦争時の供出のため失われた。
もともとこの臺石は、本堂前に一対で安置されて、緊急の火災に備える天水受けが置かれていたと代々聞いています。
現在の場所に移動したのは、おそらく東京オリンピックの頃のことではないかと思います。
墓参の折立ち寄る、玄関横の「尾」という字のついた大きな石、この臺石の左側面に、一見、漢字の「不」という字に似たしるしが刻まれていますが、これが几号(きごう)水準点と呼ばれているものです。 几号水準点の詳細:測量標石研究家:上西勝也氏 「これは明治の初め、首都の地図作成や都市部の道路、水道のインフラ整備のため測量に利用されたもので、都内には公式記録に残っているものだけでも73ヶ所あり、そのうち当寺も一拠点として選定され、お雇い英国人技術者の指導により、東京湾水位を基準とした標高が測定されました。
当時の内務省布達では独立した標石や石灯籠や鳥居などの永久構築物にも彫刻して水準点としたものです。
東京以外にも設置されましたが全国で現存が確認できるのは100ヶ所程度です。」 監修 測量標石研究家:上西勝也氏のサイト